紫宸殿・清涼殿
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京都御所(きょうとごしょ)は、京都府京都市上京区にある御所。もともと平安京での皇居は大内裏であったが、戦乱などによって荒廃したために里内裏であったここに移った。
江戸行幸の延長で天皇が東京へ移った後も、第二次世界大戦前まで即位は京都御所で行われると皇室典範に定められており、大正天皇と昭和天皇は京都御所で即位の儀式を行った(天皇の即位は京都御所で行うという皇室典範の条項は第二次大戦後削除された。その結果、明仁(今上天皇)の即位は東京で行われた)。また、天皇の在所を示す高御座は、京都御所にあり、それゆえ現在も京都御所こそ皇居であり、東京の皇居は、行幸先の「東京行宮」とする説もある。明治天皇が東京に移った際は、遷都ではなく奠都(てんと)の語を用いたとして、京都から東京への首都移転の正統性に異を唱える主張もある(→江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書の項目を参照)
紫宸殿(ししんでん)
御所の正殿で、天皇の即位式、立太子礼などの最重要儀式が執り行われた建物である。南庭(なんてい、だんてい)に面して南向きに建つ。入母屋造、桧皮葺の寝殿造の建物で、平面は33メートル×23メートルほどの規模がある。建具は蔀戸(しとみど)が使われている。規模は大きいが、華美な装飾のない、簡素な建物である。構造は中央の母屋の東西南北に庇を付した形になる。内部は板敷きの広い空間となり、高御座(たかみくら、天皇の座)と、御帳台(みちょうだい、皇后の座)が置かれている。高御座、御帳台ともに高さ約5メートル、平面八角形で、柱と柱の間に帳(とばり、カーテン)をめぐらし、内部には椅子が置かれている。高御座、御帳台の背後の襖は「賢聖障子」(けんじょうのしょうじ)と呼ばれ、中国古代の賢人32人の肖像が描かれている。これは平安時代からの伝統的な画題である。建物正面の階段の左右には「左近の桜」と「右近の橘」の木がある。
清涼殿(せいりょうでん)とは、平安京の内裏における殿舎のひとつ。紫宸殿が儀式を行う殿舎であるのに対し、清涼殿は天皇の日常生活の居所であった。清涼殿では、四方拝のほか叙位、除目などの行事が行われた。
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