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近代建築史 | |
建築物名 震災記念堂 |
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近代建築史 設計者 伊東 忠太 所在地 東京都 竣 工/1930年 |
伊東 忠太 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 東京都慰霊堂(とうきょうと いれいどう)は東京都墨田区横網の横網町公園内にある慰霊施設。1930年(昭和5年)に関東大震災の身元不明の遺骨を納め、死亡者の霊を祀る震災記念堂(しんさい きねんどう)として創建され、1948年(昭和23年)より東京大空襲の身元不明の遺骨を納め、死亡者の霊を合祀して、1951年(昭和26年)に現在の姿となった。東京都の施設であるが、仏教各宗により祭祀されている。 伊東 忠太(いとう ちゅうた、慶応3年10月26日(1867年11月21日) - 1954年(昭和29年)4月7日) は、明治〜昭和期の建築家、建築史家である。山形県米沢市出身。号は紅雲。位階・勲等・学位・称号は、正三位・勲二等瑞宝章・工学博士・東京帝国大学名誉教授・米沢市名誉市民・第1号。早稲田大学教授。叔父(父の弟)に、官僚・政治家の平田東助がいる。 エンタシスのギリシャ起源説 円柱の中央部に膨らみをつけて立体感を付ける技法をエンタシスという。法隆寺の支柱の胴張りとギリシャ建築のエンタシスを関連づけた忠太の学位論文(1893年(明治26年))は、具体的証明を示していない。和辻哲郎の『古寺巡礼』(1919年(大正8年))で広まり、日本はシルクロードの終着点、といった言説とともに日本でよく語られる説であるが、学問的には立証されていない。 |
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